明治時代の神仏分離。

神仏分離令は仏教排斥を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれた。

地方の神官や国学者が扇動し、檀家制度のもとで寺院に搾取されていたと感じる民衆がこれに加わった。

政府は神道国教化の下準備として神仏分離政策を行なったが、明治5年3月14日の神祇省廃止・教部省設置で頓挫し、神仏共同布教体制となった。

廃仏毀釈運動は明治以降、第二次世界大戦の敗戦まで一部の過激な神道家とこれに追随した一部民衆が行ったものの、一部地域を除き、民衆には普及しなかった。

現代でも神社と寺院の違いが判らない者も多いという。

中には神仏習合の風習を受け継いだり復興させたりするところもあるが、神道、仏教のそれぞれの内部では、お互いに忌避するむきもある。
update:2010年02月19日