源義経

源義経は、平安時代末期の河内源氏の武将。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟である。

本姓は源氏。家系は清和源氏の一支流、河内源氏の棟梁・源頼信の流れを汲む。

仮名は九郎、諱は義經である。

河内源氏の当主である源義朝の九男として生まれ、幼名牛若丸と呼ばれた。

平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主藤原秀衡の庇護を受ける。

兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。

その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことでその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。

全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。

その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓という言葉、多くの伝説、物語を産んだ。
update:2010年03月07日